かげろうぶろぐ

自分の人生は、自分で面白くする。

開拓がんばります

自転車のスピードは、ゆっくり走って1時間で12キロ~15キロほど。
つまり、自宅を中心に半径15キロが大体の行動範囲といえる。

まあ、一時間も自転車をこぎ続けるというのは、なかなかに大変な運動ではあるが、結構、広い。

私の趣味は、自転車で美味しいお店を探し、開拓すること。初めて行った土地の初めて行ったお店で、美味しい料理を発見すると、すごく得した気分になるものだ。

車社会の宇都宮では、郊外にポツンと美味しいお店があるのも珍しくない。
そんなお店を開拓するのに、自転車ほど絶好の乗り物はないだろう。
地球にも優しく、健康的で、経済的で、気持ちよく、面白い乗り物。というか、メリダの新しい自転車を買ってから、私の自転車好きはさらにパワーアップしたようだ。

今日も、梁瀬にある爆弾ハンバーグのお店に行ってきた。初めてダブルを注文したが、ダブルの名に恥じぬ素晴らしいボリュームで満腹になった。肉で腹を満たすというのは本当に幸せなことだ、と思った。

きっと、私は前世が肉食動物なのだろう。

開拓は、いうなれば狩り。美味しいものを求めて、開拓がんばります。

祭りのあと

宮まつりは、今月の1日、2日と2日連続で開催される。

 

夜勤明け、家に戻る道は、まさに祭りのあとといった景色だった。

小さくたたまれた屋台の骨組みがそこかしこに置き去りにされ、道のそこかしこに散乱したゴミを、ハッピ姿の人たちが掃除している。祭りの余韻を楽しむように酔いを残して座り込んだり、壁に寄りかかったりしている若者たち。テープで囲われた駐車場に高く詰まれたゴミ袋の山。

こういった景色を見ていると、宇都宮はまだまだ都会なんだな、と思えてくる。都会であり、田舎でもある。それが宇都宮だ。

 

東京だったら、きっと祭りのあとでも、もう少し綺麗なのは、掃除をする係の人が宇都宮よりもたくさんいるからだろう。田舎だったら、こんなにゴミが散乱することはない。いい感じの中途半端さ。その結果が、この風景なのだろう。

 

東京から、電車で二時間。新幹線なら40分ほど。都心から近くはないが、遠いともいえない場所。毎日、新幹線で都内に通勤するサラリーマンもいるらしい。正直、私には信じられないが…それでも、そういったことができるギリギリの距離なんだろう。宇都宮という場所は。

 

私はまだ半年ちょっとしか住んでいない、いわば宇都宮に居候しているような人間だ。

それでも、のんびりとした街の雰囲気や、自由な感じ(悪くいえば、自分勝手な感じだが)というのは嫌いではない。何より、住むのに便利な街である。

それでも、なぜか、東京にはない、妙な寂しさみたいなものを感じてしまうのは、街や店にどことなく漂う、よそよそしさのせいだろうか?それとも、私が完全に宇都宮の人間になっていないから、そんな風に感じるのだろうか。

 

宮まつりも、人が大勢いて大騒ぎしている時よりも、全てが終わり、喧騒の余韻を漂わせながらひっそりと静まったアーケードを眺めている時のほうが、気持ちが落ち着く。

 

なぜ、そう感じるのか。

幸い、私には足がある。

もっと、いろいろな宇都宮を見て、その魅力に気づけたらいいな、と思った。

宮まつり

今日と明日は、宇都宮でたぶん?一番のお祭り、宮まつりだ。

 

私の家はまさに祭りの中心地となる大通りにあるので、マンションの目の前の道路が歩行者天国になって、ズラリと屋台が立ち並び、普段からは想像がつかないくらいたくさんの人でごった返していた。マンションの敷地内で普通に知らないおっさんとかが入り込んできて酒のんだりしてたのには閉口したが…

 

私は夜勤なので、昼間は貴重な睡眠時間である。大通りに面しているとはいえ、普段であれば結構、窓を閉めておけば外の騒音はシャットアウトされ、静かに眠ることができるのだが、さすがに今日ばかりはすごいお祭り騒ぎで、起きた時にあまりにも外の音が聞こえるので、閉めたはずの窓が勝手に開いてるのかと思ってしまったほどだった。

 

何日も前からそこらじゅうにポスターが貼られていたし、大きな祭りなんだろうとは思っていたが、ここまで盛大なものだとは…

 

正直、宇都宮をなめてました・・・

 

おかげで、寝不足になって、仕事に遅刻しそうになったけど…

 

宇都宮で初めて過ごす夏。

面白いことを起こさないと、もったいない。

新しい仲間

今日は、私が宇都宮に来る事になった、そのキッカケを作ってくれた人物で、ある社長的な人との打ち合わせで、喫茶店に行ってきた。

そこで、私たちがこれからやろうとしているプロジェクトの、新たな仲間を紹介された。50歳の、一見して普通のおじさんだったが、新しいことにチャレンジしたい、とい気持ちというか、情熱のようなものは、しっかりと感じられた。

新しい仲間に必要なことは、技術や知識よりも、まずはそういった情熱だと思う。やってやる!という気持ちさえあれば、意外と何とかなってしまうものだからだ。

 

これから、この三人で新しいことを始めるのだ。

私は、基本的に変化が好きな方で、新しいことを始める時はいつもわくわくした気持ちになる。

仕事でも、プライベートでも、それは同じだ。というか、私の中では、プライベートと仕事の区別というのがかなり曖昧だ。仕事をする時も、遊びの要素を勝手にとりいれてしまったりするからだろうか?仕事の作業も、ゲーム感覚というか、ミッションをこなしていくような感覚でやってしまうので、人がつまらないと思うようなことでも楽しめてしまうのは、ある意味、ちょっとした長所なのかもしれない。

 

今日初めて会った、そのおじさんも、いつもお世話になっている社長的な人も、そういう部分は私と通じるものがあるのかもしれない。何歳になっても、新しいことにチャレンジしようという情熱を持ち続け、そこに楽しみを見出している。いや、楽しいことを常に求めているというべきか。

 

このプロジェクトの詳細については、またおいおいご報告します。

時代の流れに乗るかどうか

私の知り合いには何人かの社長的な人がいるが、その中の一人はネットで動画サイトを運営している管理人である。

 

もうかれこれ5年くらいの付き合いで、ボチボチ稼いでいたようだが、先日、動画サイトは終わりにすると連絡がきた。

最初は携帯電話向けのサイトを運営していて、そこそこの収益を上げていたようですが、時代が変わってスマートフォンが浸透していくにつれ、だんだんとサイトの訪問者が減っていき、広告の収入も少なくなり、ついにサイトを閉鎖することになったとのこと。

 

残酷な言い方をすれば、時代の流れに乗れずに取り残されてしまったということなのだろうか?

そう考えると、社長という立場の人は、本当に大変だと思う。自分の力でいろいろなビジネスを立ち上げて、やり方しだいでは自分の好きなことを仕事にできる、そんな立場ではあるが、ひとつ間違えば全てがゼロになってしまう可能性もある、本当の意味で完全歩合の世界だ。

 

時代が変われば、稼げる仕事も変わるが、その流れに乗れなければ、生活するために稼ぐこともできなくなってしまうということ。

 

彼が、動画サイトをやめてどんな新しい仕事をするのかはまだ聞けていないが、過去にとらわれず、新たなステップを踏み出す勇気は賞賛されるべきものだと思う。

 

新しいものをゼロから作るというのは、私には想像もつかないことだが、きっとものすごく大変なことだろう。

 

また久しぶりに会って、いろいろな話を聞いてみたいと思う。