かげろうぶろぐ

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祭りのあと

宮まつりは、今月の1日、2日と2日連続で開催される。

 

夜勤明け、家に戻る道は、まさに祭りのあとといった景色だった。

小さくたたまれた屋台の骨組みがそこかしこに置き去りにされ、道のそこかしこに散乱したゴミを、ハッピ姿の人たちが掃除している。祭りの余韻を楽しむように酔いを残して座り込んだり、壁に寄りかかったりしている若者たち。テープで囲われた駐車場に高く詰まれたゴミ袋の山。

こういった景色を見ていると、宇都宮はまだまだ都会なんだな、と思えてくる。都会であり、田舎でもある。それが宇都宮だ。

 

東京だったら、きっと祭りのあとでも、もう少し綺麗なのは、掃除をする係の人が宇都宮よりもたくさんいるからだろう。田舎だったら、こんなにゴミが散乱することはない。いい感じの中途半端さ。その結果が、この風景なのだろう。

 

東京から、電車で二時間。新幹線なら40分ほど。都心から近くはないが、遠いともいえない場所。毎日、新幹線で都内に通勤するサラリーマンもいるらしい。正直、私には信じられないが…それでも、そういったことができるギリギリの距離なんだろう。宇都宮という場所は。

 

私はまだ半年ちょっとしか住んでいない、いわば宇都宮に居候しているような人間だ。

それでも、のんびりとした街の雰囲気や、自由な感じ(悪くいえば、自分勝手な感じだが)というのは嫌いではない。何より、住むのに便利な街である。

それでも、なぜか、東京にはない、妙な寂しさみたいなものを感じてしまうのは、街や店にどことなく漂う、よそよそしさのせいだろうか?それとも、私が完全に宇都宮の人間になっていないから、そんな風に感じるのだろうか。

 

宮まつりも、人が大勢いて大騒ぎしている時よりも、全てが終わり、喧騒の余韻を漂わせながらひっそりと静まったアーケードを眺めている時のほうが、気持ちが落ち着く。

 

なぜ、そう感じるのか。

幸い、私には足がある。

もっと、いろいろな宇都宮を見て、その魅力に気づけたらいいな、と思った。