かげろうぶろぐ

自分の人生は、自分で面白くする。

自転車の価値

端的に結果から言うと、私はその日、自転車を買わなかった。

それは決して、一緒に自転車屋に行った、その社長的な彼が、私にいいところを見せようとしてか何なのか、いきなり自らを値引きのプロと名乗り、自転車屋の副店長とやらを相手に交渉という名の口論(あるいはヤカリ)を繰り広げ、最終的に相手にされなくなってしまい、私自身は買う気満々なのに、何故か買わないならお客様ではありません的な態度であしらわれるというとばっちりにあって、そんなチンピラの友達はチンピラであると一方的に断じてしまう、杓子定規な店員たちの態度に憤りを感じたから、というわけではない。

あくまで、私の求める自転車がそこになかったからである。

そんなわけで、もはや自転車を買う気力が完全に消滅してしまった私は、帰ってふて寝することした。

自転車や財布など、一度買うとずっと使うもの、特に一人につき一つ持っているのが普通なもの(財布や自転車を一人で複数所有してるなんて相当のマニアだと思う)に関しては、一日かけて選択を吟味するのが私の常である。下手をするとその選択には一週間、一ヶ月を要することさえある。

そうやって悩んだ末に手に入れたものには、間違いなく愛着がわき、大切にしようという気持ちになるものだ。

また、いいものを使う、ということは、自分自身の価値を上げてくれることでもある。身につけているものが、自分にとって誇りに思える、価値のあるものであれば、日々それをつかうたびごとに、誇らしい気持ちになることができ、自信にもつながっていく。